甘い菓子といえば、女性が好むものと、おもっていませんか。
でも、江戸菓子の歴史をひもといてみると、金鍔や大福、桜餅、今川焼など、日常生活のなかで食べられる菓子は、実は、江戸の男たちに支えられて生まれた菓子という側面もあったことがわかります。
和菓子ができた背景
江戸時代、和菓子が庶民の口にはいるようになった背景には、砂糖が一般にひろまるようになったことがあげられます。
徳川吉宗の政策により、それまで高価な輸入品だった砂糖にかわり、次第に国産の砂糖がでまわるようになったからです。
日常生活のなかで食べられる、金鍔や大福、桜餅、今川焼などの江戸で生まれた菓子も、砂糖がゆきわたった江戸のころ生れました。
江戸は男の町だった
江戸で生まれた金鍔や大福、桜餅、今川焼は、屋台で手軽に食べられるものとして売られていました。
屋台で求めてそれを食べたのは誰かというと、主に男たちでした。
というのも、江戸は、男性が多い街だったからです。
参勤交代制度や、街づくりのための職人たちが多かったのが、その要因といわれています。
そのなかで、長屋に住む職人や行商人の一人暮らしの男たちの食事は、長屋の自宅では調理できないため、屋台での外食が中心でした。
満腹だと体がうごかしにくいので、小腹がすくと、なんどかにわけて少しずつ屋台で食べます。
それにせっかちな江戸っ子は、屋台では、さっと手軽に食べられるスタイルを好みました。
そうやってみてくると、屋台で売られていた金鍔や大福、桜餅、今川焼などの江戸で生まれた和菓子は、手で持ってすぐ食べられるもの、食べてすぐエネルギーチャージできるものが主流になるのもうなずけます。
和菓子のもつ特別感と日常感
働く男たちをささえた人気のエナジー食が、いまわたしたちが毎日たべたい和菓子のルーツというのは、面白いですね。
特別なときにお抹茶といっしょにいただく上品な和菓子との付き合い方がある一方、ちょっとつかれたら、手でさっと和菓子を食べて元気になるような、手軽なエナジー食としての和菓子との付き合い方もある。
和菓子には、2つの付き合い方があるから、現代のわたしたちも和菓子を前にすると、豊かな満ち足りた気持ちでいられるのですね。
執筆 和田美香
取材協力 株式会社榮太樓總本鋪 細田将己様 http://www.eitaro.com/
取材日 Oct,20,2016
榮太樓總本鋪ご紹介
金鍔がルーツの、江戸菓子からつづく老舗の和菓子店。創業当時からの、余計なものを入れない、シンプルな材料と味にとことんこだわる理念を大切に守りながらも、変革を恐れない日本を代表する和菓子店として、梅ぼ志飴や、甘名納糖、あんみつ、果汁飴など、時代にあわせた新しい提案もくわえさらに深化しつづけています。
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